『Mother』

今でも時々、思うことがある。
おふくろが生きていたら、今とは違う人生を送っていただろうか。
マフィアにもならずに、安穏に暮らす日々。あんまり想像できねぇけど、普通に学校行って友達作って、将来は好きなピアノで食っていけたらいいとか考えて。
そんな平凡な中にも、ささやかな幸せがあって。
おふくろが生きていたら、家族そろって笑える未来があったんだろうか。
もし、おふくろが生きていたら、こんな俺を、愛してくれただろうか…―――。



「――…っ……っあ…!…」
「…獄寺、獄寺、…大丈夫?」
「……ひ、ばり…?」



俺を覗き込む漆黒の瞳。闇に同化する、瞳と同じ色の髪。
目を覚ますと、真っ先に視界に入ったのは、隣で眠っているはずの恋人の顔だった。
俺の全身は汗でぐっしょりとしていて、呼吸もいつもより早く、ひどく息苦しさを感じさせた。
夢、か……。
は、と息を吐いたと同時に、瞼に熱を感じて。ともすると、眼尻に溜まった水が滴となって零れそうだった。
うわ、夢見て泣くとかガキじゃあるまいし、カッコわりぃ。
俺は隠すようにしてそれを拭った。すでに手遅れだったかもしれないけれど。
雲雀が心配げな表情で、額に張り付いた前髪を優しく払い除けてくれた。



「すごく魘されてた。嫌な夢でも見た?」
「よく、覚えてねぇ…。俺、なんか言ってたか?」
「ううん、言ってないよ」
「そ、か…」



何度、何度、母親が目の前で消えていく夢を見たか分からない。
子供の頃の俺。手を伸ばしても掴めない。全然、届かない。
今更、だ。
あの人はとうの昔に死んだ。その命は儚く散った。
浮かんでくるのはくだらない幻想。
家を飛び出した時に俺はすべて捨てたんだ。母親のことだって受け入れているはずなのに。
なぜ、こんなにも思い出すのか。どうして、考えてしまうのか。
眠りに就けば毎夜のように付き纏うのは、柔らかな笑顔や穏やかな陽射しに包まれた日常とはかけ離れた、残酷な姿ばかり。



「…悪い、雲雀。起こしちまったよな」
「気にしなくていいよ。それより、眠れる?」



まだ夜中らしく、雲雀は抑えたトーンで問いかける。けれど確実に、俺を気遣うのが声音で分かる。
頭を撫で続ける手が、まるで大事な物を扱うような手つきで。
あまりにも温かいから、俺はその手を取って、自分の指を雲雀のそれに絡めた。



「寝付くまで、こうしててもいいか?」
「眠るまでと言わず、いつまでだって繋いでいてあげる」



そう言って雲雀は俺の額と瞼にキスを落とした。
なんだか面映ゆくて擽ったくて、ふ、と小さく笑いが洩れた。
指先から伝わる雲雀の体温。
それは雲雀の優しさそのもののようで、俺の心の渇いた部分を潤して、凍てついた感情を解かしていくようだった。
こんな温かさ、今まで知らなかった。
独りでいることに寂しさや悲しさを感じたこともなかったし、体一つあれば十分だと信じていた俺は、余計なものは抱えず生きてきたつもりだった。
イタリアでは東洋の血が混ざっているという理由で、どこのマフィアも受け入れてはくれなかった。
他人に何かを与えてもらえるなんて、想像したこともない。
ましてや、誰かの愛情を受けるなど、有り得ない、と。
あの日、何もかも捨てたと思っていた。
家も、家族も。誰かを、慕う気持ちも…。
まさか自分が、特定の人間に対して恋慕の情を持つなんて。こんなにも強く、誰かを欲するなんて。
応えてくれる雲雀が、俺を満たすから。俺だからいいんだと言ってくれる雲雀が、俺の中でどんどん大きくなっていくから。
どうか、できるだけ長く、ふたりが同じ想いでいられますようにと。
少しでも長く、共に在れますようにと。祈るように請うように、絡めた指に、きゅっ、と力を込めた。そうしたら、雲雀がすぐに握り返して。
俺は…。
もし、いつか、雲雀が俺から離れたいと言ったら、その時俺は、この手を離すことができるだろうか。
この温もりを、手放せるだろうか。



「獄寺」



不意に、雲雀が繋いだ手はそのままに、もう片方の手で俺を抱き寄せた。
顔を上げようにも俺の頭の上のほうに雲雀の顔がある。かなり密着しているにも拘らず、雲雀はさらに俺を抱く腕の力を強めた。



「獄寺、僕はどこにも行かない。だから安心して眠って」



その一言で、さっき寝ている間、自分が何を口にしたのか一瞬で悟った。
なんだ。やっぱり聞こえてたんだな。
脳裏に焼きついた朧気な残像。懐かしい面影。崩れていく姿形。
一度も呼べなかったその名を、喉が裂けるほどに呼び続けて。
本当に、どうして今更。
でも雲雀は何も聞かない。何も言わない。
不思議なことに、雲雀は俺が聞いてほしくないと思っていることは、一切聞いてきたことがない。
今回も、ただこうして手を差し伸べてくれる。側にいてくれる。



「…サンキュな、雲雀」
「君が目を覚ました時も必ず隣にいる。一人にはしないから」



たまに、こいつのことをエスパーじゃねぇのかと思う時がある。
俺の欲しい言葉をいとも簡単に見つけ出して。しかも、言葉だけでなく、そうしてほしいと望むことを絶対してくれるんだ。
あんまり俺を甘やかすなよ。
お前の隣は、居心地が良すぎるから。お前は、俺のすべてを包み込むから。
いつまでも繋ぎ止めておきたいと欲深になってしまう。
注いでくれる熱情も、お前自身も、突然消え去るんじゃないかと不安に襲われる。
そこにあるのは恐怖心。雲雀がいなくなるのを想像するだけで怖くてたまらねぇんだ。
かつての彼女とダブってるんだ。笑顔を向けてくれる雲雀が。
……違う。
雲雀への想いが膨らむたびに、雲雀が愛を囁くたびに、亡くなった母親を思い起こすんだ。
おふくろはどんな風に俺を愛してくれただろうとか、おふくろの愛情はどんなものだろうとか。考えてみたことは幾度となくあって。けれども。
母親の代わりが欲しいわけじゃない。それは無い物ねだりで、そもそも恋しいと思う年齢でもない。
俺は、雲雀と出会って、得られないと思っていたものを手にすることができたから、バカみたいに昔の淡い記憶を手繰り寄せて追い求めるように幻を掴もうとするんだ。
きっと、雲雀が俺に与える影響は並みのものじゃねぇんだろうな。すべては、雲雀だから。



「大好きだ、雲雀」
「そう言ってくれる君のために、約束するよ。僕は君を置いて行ったりしない」
「雲雀…」
「なんて、ほんとは僕が君なしの毎日なんて考えられないんだ。僕は獄寺がいればそれだけでいい。嫌だと言っても離さないから覚悟することだね」
「…あの、さ。すげぇうれしい。俺、雲雀に嫌われないように努力するから」
「僕は、僕が愛しいと思うのは、後にも先にも君だけだよ」



そうやってお前は、ひたすら真っ直ぐに、抱えきれないほどの愛で俺をいっぱいにするんだ。
溺れちまうよ。
ずっと、失うものなんてないと思っていた。
そんな俺にも、失くしたくねぇと思えるものがあったんだな。
何よりも大切にしたくて、誰よりも好きな相手を見つけたんだ。
おふくろは俺を愛していてくれた。たぶん、生きていたとしても愛してくれるだろう。母の愛は無償だというから。
けれど、ほかにもいたんだ。
見返りや損得抜きで、惜しみなく愛情を注いでくれる奴が。俺を幸せな気持ちにしてくれる奴が。
この手があれば、きっと俺は、どこまでだって歩いていける。





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書き終えて読み返したあとに、「何これぇぇぇぇ!?」となった作品(苦笑)
もう後半から何を書いてるのか分からなくなっていたんですよね…(←ヲイ)
母の愛に飢えてる獄寺くんだけど、それ以上に雲雀さんを愛してるし、愛されてるんだぞってことを言いたかったんですけどもー。
だらだらと収拾つかなくなってきたから無理矢理終わらせたという…(´∀`;)
ああ〜〜、もっと思うように書けたらいいんですけど(お前じゃ無理)
このような駄文を最後までお読みいただき本当にありがとうございました!



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