『Wonder×Panic』

「恭弥、お前にこの秘薬を授けよう」
「秘薬?」
「うむ。敵の目を欺く時に使うといい。きっと役に立つじゃろう」
「一体どんな効果があるの?」
「ほっほっ。それは使ってからのお楽しみじゃ」



このくそジジイ。
なに勿体ぶってんのさ。自分の師匠でなければ、ぎたぎたに咬み殺して、無理矢理にでも口を割らせてるところだよ。



「さしものお前もびっくりするじゃろうて。ほっほっほっ」



むかつく。
その自慢の顎髭剃り落としてやろうか。
役に立つって、どう役に立つのさ。どんな効力があるかも分からない物を、敵の前で簡単に使えるわけないでしょ。
弟子に物を授ける時はしっかり教えてから渡すものじゃないの、普通。秘薬と言うならなおさら。なんて適当なの。



「そうそう、恭弥。注意せねばならぬことがあるぞ。もし、それを使った時は…―――」









僕の手の中には、丸薬の入った小瓶。
結局、師匠はこの秘薬が何であるか、効き目はどのようなものか、一切教えてくれなかった。
説明不足にもほどがある!そんなんでこれを持たせる意味と意図が解らないよ!
しかも、使用上の制約ときたら…。ああもう、バカバカしい!
そもそも、こんなもの使わなくたって僕は強いんだよ。どれだけの敵が向かってこようが、どういう状況だろうが、僕は負けない。師匠のくせに僕の強さがちゃんと分かってないんじゃないの?僕は最強だよ、最強!
…けれど、ちょっとだけ、ほんとに本当にちょっとだけ、この秘薬を試してみたい気もする。
ここは師匠の敷地で敵に遭遇することもない。先々、実戦でこれを使う機会があるとも思えない。だって僕は強いから。そう考えると、ただ持っているだけじゃいずれ存在を忘れてしまうか、部屋のどこかに眠ったままやっぱり忘れ去られるかだろう。
せっかく手にしておきながら、一度もその効果を見ずに放置しておくのもどうかと思う。
どの程度敵に有効なのかを計ることはできないけれど、使うとどうなるか確かめてみるぐらいはしておいてもいいかな。それから処分すればいい。どうせ僕には必要ないものだ。
僕は小瓶から一粒、薬を取り出す。
手の平に転がった丸い粒。銀色をしていて、まるで仁丹みたいだ。
僕はそれを口の中に放り込むと、ゴクリと飲み込んだ。
待つこと三十秒くらい。



「……………何も起こらないじゃないか」



こういう時はお約束として、まず飛び跳ねてみよう。ピョンピョン。うん、見事になんともないね。「体が軽くなった!」とか、「ジャンプ力が上がった!」なんてことを期待してたわけじゃないけどさ、ビックリするような事が起きるんじゃないかと当然思うでしょ。
もしや、騙された?
いや、元々この薬の存在自体怪しかったんだ。秘薬と言うけれど、実はただの腹痛の薬でした、とかありがちだよ。師匠ももうかなりの高齢だし、多少惚けてたって何ら不思議はない。



「とんだ肩透かしを食わされた気分だよ」



僕は小瓶をポケットに突っ込んで、来た道を戻ろうと踵を返そうとした。
その時。



「―――っ!?……う…」



どくん、と心臓が一際大きく脈打つのを感じたと思ったら、視界がぶれた。
僕は思わず両目を固く瞑った。その間、ほんの数秒。そうして、そっと瞳を開けて、自分の視力を確認する。異状は無い。



「…何だったの?今の……」



あの薬が何か関係してるんだろうか。
そうとしか考えられない。でも、体の内から力が湧いてくるとか、特に変わったところはないし、僕の考え過ぎだろうか。
思いを巡らせながら僕はふと違和感を覚えて、さっき咄嗟に手をついた木の幹を見上げた。



「おかしいな。…この木、こんなに大きかったっけ?」



ちょっと高くない?こんな大きな樹、覚えがないけれど。幹だっていくらなんでも太すぎるよ。それに。



「それに、僕の手っ。どうしてこんなに小さいのさ!?」



足だって、背だって。いつも見ているものとは全然違う。
ちょ、ちょっと、一体どうなってるの!?
明らかにおかしい。僕は近くにあった湖に自分の姿を映してみた。そこで見たもの。
己の姿に愕然とした。



「ち、縮んでる……というより、子供になってるじゃないっ!!」



短い手足、ふにゃふにゃした頬。
何これ!?これが僕!?変わりすぎだよっ。きっと秘薬のせいだ!あれが僕の身体をこんな風に!!
薬飲んで幼児化なんて、どこの名●偵コ●ンー――!?世界違うし!というか漫画が違うよ!着ている物まで体型に合わせて縮むなんて、どんなミラクル!?そんなミラクルはいいから僕の姿を元に戻してよっ。
敵を欺くのに役立つだって?冗談じゃない!こんなもの実戦でとても使えやしないよ!!
さっさと師匠から戻し方を聞きださなきゃ。あ。…だめだ。あの人出かけたんだった。二時間くらいは帰ってこない。こんなことなら咬み殺してでも薬の効力を聞き出しておくんだった。
どうするんだよ、もう!このまま町をうろうろするわけにもいかないし、しばらく時間を潰すしかない。
まさか秘薬が肉体の退行だったとはね。厄介なことになった。
師匠もせめて薬の持続時間だけでも教えてからいなくなってほしかったよ。まったく。
僕はいつになったら元の体に戻るんだろう。水面に映る自分自身を見据え、仕方ないから昼寝でもするかと木陰の方へ足を向けた。すると、僕が向かう方向からガサガサと枝や雑草を掻き分けて、誰かが近付いてきた。
葉のこすれる音が徐々に大きくなる。近付いてくるのは動物か、それとも迷い込んだ子供か。



「あれ?」



大木の陰からひょっこりと現れたのは、僕がよく知る銀髪の少年だった。



「お前、誰だ?」



は、はははははは隼人!どうしてここにっ?



「そこで何やってんだ?ここは雲雀んとこの師匠の敷地だぞ?迷子か?」



ち、違うよ!僕が雲雀だよ!
否定の言葉をギリギリで飲み込む。今の僕は名乗るに名乗れない。こんな姿、格好悪いし情けないし、第一…。





「よいか、恭弥。一つ気を付けることがある。この秘薬を飲んだら、あの少年、獄寺隼人とは決して口をきいてはならぬ」





口をきいたら最後、お前の体は取り返しのつかないことになる―――。
どうして隼人限定なのかを訊けば、「ワシがそういう念を込めたんじゃ。猫飼の弟子だしの、別にいいじゃろ」だってさ。
よくないよっ!あのクソジジイー―――!
まったく、なんてくだらない!やっぱり咬み殺せばよかった。
僕は暴れ出したいのを必死で堪えた。うんともすんとも言わない僕に、隼人は怪訝な顔をして、少し腰を屈める。



「お前、もしかして喋れないのか?どこのガキかも分かんねぇな…。ここの師匠の門下でもないだろうし」



ぽん、と頭に軽く手が置かれる感触。
まさか。まさか。隼人が僕の頭に。僕の髪に触れている!



「そう言えばお前、なんか雲雀に似てんな」



僕をじっと見つめて、そう零す隼人。この小さくなった姿を見て僕を思い出してくれるのはうれしいけれど、それって僕が幼い頃から成長してないってことなのかな。なんだか素直に喜べないよ隼人。



「あ、雲雀ってのは俺の知り合いなんだ。よくこの山で体術の修行をしてる。この辺一帯はあいつの師匠の敷地なんだぜ?」



その雲雀が僕とは知らずに、隼人は話し続ける。
気付かなくて当然だ。たとえ似ていると感じても、普通は目の前にいる子供が本当は自分と同い年くらいの人間だなんて思わない。



「なあ、お前、どっちから来たんだ?迷子じゃほっとくわけにもいかねぇから、送ってやるよ」



ええっ、それはまずいよ!
子供の姿のまま家に帰るわけにはいかないし、僕は隼人とは言葉を交わせないんだ。
それに、いつ薬の効果が切れるか分からない。もし、隼人の前で姿が変わったりしたら…。
僕はブンブンと頭を振って拒絶の意思を示す。



「ああ?いやじゃねぇっつの。ガキが一人で抜けられる場所じゃねぇんだ。ほら、行くぞ」



嫌がる僕に隼人は、ぐっと眉間に皺を寄せて手を伸ばした。次の瞬間、僕の足は地面から離れて、間近には隼人の顔が。
自分の体が宙に浮いたことに驚く間もなかった。気付けば僕は、隼人の腕の中にいた。



「お前の家はどっちだ?あっちか」



しまった。つい、家がある方角を指差しちゃったよ。だってだって、叫び声さえ引っ込むほどびっくりしたんだ。隼人が僕を…どどどどうしよう。こんなシチュエーション想定外だよ!
こうなったら適当に良さげな家の前で降ろしてもらおう。
それにしても、隼人に抱っこしてもらえるなんて、なんてオイシイんだ、この姿っ。今、時が止まるなら、ずっとこのままでもいいかな。
は、何を考えてるんだ僕は。隼人は親切心で面倒見てくれてるんだ。決して雲雀恭弥である僕のためじゃない。
隼人が“雲雀”に対して、こういう風に接してくれるわけがないんだ。
ねえ、隼人。
どうして君がここにいるの?
君の師匠に言われて来たの?それとも、君の意志でここへ来たの?
無言の問いかけを繰り返す僕。視線を感じ取った隼人が視線を合わせた。



「なんだ?そんなにじろじろ見て。俺のことが気になんのか?」



なるよ!いろんな意味で。君の登場とこの状況は、僕にはサプライズラッキーだったけれど。



「俺は雲雀とは別の流派なんだけどな、師匠から隣町まで用事を頼まれてさ。この山を越えたほうが近道なんだ。けど、よそ様の敷地だし、それが雲雀んとこの師匠だろ?だから、これは俺とお前の秘密なっ?」



わ、笑った!
うわあああああああ!!なんて可愛いんだっ。隼人の笑った顔が見られるなんて、夢みたいだよ!
僕は頸椎が折れるんじゃないかと思うくらい、何度も首を縦に振った。
そうしたら、隼人は「サンキュ」と言って、またにっこり笑い、僕の頭をガシガシと撫で回した。
師匠、咬み殺せばよかったなんて思って悪かったよ。なかなかグッジョブだよ!
隼人は僕を抱えたまま森の中を歩き続けた。途中、持っていたオレンジジュースをくれた。師匠に持たされたけれど、自分は飲まないからと。なんて優しいんだ。
隼人がこんなに無防備に僕の側にいるなんて信じられない。僕の心臓はうるさいまでに高鳴って。もっとこうしていたい。隼人の笑顔を眺めていたい。そう思った。けれど。
隼人の表情は曇ってしまった。



「…師匠はさ、雲雀達のこと、あんまよく思ってないかもしれねぇんだ。けど、俺は、」



進む先を見つめる隼人の綺麗な翡翠の瞳は、どこか悲しげだった。
隼人。なぜ沈んだ表情をしてるの。そんな顔をしないで。



「俺、いつも雲雀とは対立してるけど、別に雲雀を嫌いなわけじゃねぇし。でも、師匠があいつらとは歩み寄ることはねぇみたいなこと言ってるから」



そう。僕の師匠と隼人のお師匠様はとても仲が悪い。
旧知の間柄らしいけれど、いつから不和になったのかは僕も知らない。興味無いしね。僕が所属する鳥飼流と、隼人が属する猫飼流の創始者同士が険悪だから、もうお互いの流派が常に喧嘩腰だよ。
隼人は、師匠達の関係が僕達に影響を及ぼしていることに胸を痛めているの?



「本当は、俺、雲雀と仲良くできたらいいと思ってんだ」



隼人!
隼人、隼人。僕もそうだよ。
僕だって、君を嫌ってなんかない。むしろ僕は…。



「あ、いや、仲良くとまではいかなくても、普通に接するくらいにはなりてぇっつうか…。雲雀はどう思ってるか知らねぇけど。……やっぱ無理かな」
「…っ……」



隼人、どうかそんなに寂しそうな顔をしないで。
僕も君と仲良くしたいよ。僕は君が好きなんだ!
ああ、伝えられたら。
今の僕は何一つ言葉をかけてやれない。
師匠もなんだって秘薬にこんな馬鹿げた念を込めたんだ。大人げない。犬猿の仲だかなんだか知らないけれど、僕達まで巻き込まないでよ。
僕は、隼人に心から笑ってほしい。君を悩ませるものから解き放ってやりたい。



「俺、何言ってんだろうな。お前に話しても仕方ねぇのに。お前見てたら雲雀を思い出してさ。わりぃな」



相変わらず愁いの表情のまま、隼人は僕にぎこちない笑顔を向ける。
堪らず僕は、隼人の頬に手の平を添えた。今では小さな己の手。
これじゃあ、包み込むこともできないな。でも。



「きっと、雲雀も君と同じ気持ちだよ!伝えたいけど言い出せないだけだと思う!だから、そんな顔しないでっ。君は笑ってるほうがずっといいよ!」



そう一気に言い切ると、僕は隼人の腕から飛び降りて、生い茂る雑木林の中へと走った。
師匠の言葉。
‘取り返しがつかない’とは、恐らく一生子供の体のままということだろう。
でも、いいんだ。
隼人が僕のことで苦しむ姿なんて見たくないから。
さようなら、隼人。
もう雲雀恭弥の姿では君の前に立てないけれど、雲雀恭弥として言葉を届けることはできないけれど。
君は笑っていて。
家に帰るまで僕は必死で涙を堪えた。着くなり両眼からは止めどなく涙が流れて。握っていたオレンジジュースの缶を見たら、切なくて辛くて仕方なかった。
隼人のことは忘れよう。
あの子以上に人を好きになれることなんてないと思うけれど、幼児になってしまった僕ではどうすることもできないじゃないか。
気持ちを伝えることも、雲雀恭弥であるということも、真実は何一つ語れない。
胸が張り裂けそうに痛いよ。これが僕と隼人の運命なの?僕は誰より強いはずなのに、運命すら打ち砕けないなんて。
別れなど望んではいないけれど、隼人が知る雲雀はいなくなってしまったから、もういいんだ。隼人、君の幸せを願っているよ。
想いも一緒に流すように、僕はそのジュースを飲み干して、ベッドに潜り込んだ。










泣き疲れて眠ってしまった僕は、夜になって目を覚ました。どういうわけか身体が元通りに戻っていて、勿論僕は驚いた。
取り返しがつかなくなると聞いていたのに、どうなっているのかまた訳が分からない。
僕は師匠を訪ね、すべて説明するよう問い詰めた。



「秘薬の効果はせいぜい二時間程度での。念が解けたのは、ミカンに含まれる成分のおかげじゃな。最初から、そういう鍵をかけておったんじゃ」



なにそれ。



「偶然にもミカンを口に入れるなんて、ツイとるのぉ。ほっほっほっー」



こっのクソヒゲジジイィィィイイイイイッ!!
どれだけ僕を振り回せば気が済むのっ。怒りで震えが止まらないよっ。
前言撤回。カミコロス。カミコロス。カミコロスッ。絶対咬み殺す!
……ああ、でも、あのオレンジジュース。隼人が僕を助けてくれたんだ。
ありがとう隼人。
いつか、僕はいつか、君に僕の想いを打ち明けるよ。それまで、どんな困難にも耐えて、障害を必ず乗り越えてみせるよ。
とりあえず、今日のところは僕を振り回した迷惑ジジイを咬み殺さないとね。






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本家の拍手御礼文だったものを加筆修正したものです。
当時、「ギャグを書きたい!」という思いで筆をとった記憶がありますが、何を求めてこの作品を書いたのか、いまだに不明です(苦笑)
でも、書いてて楽しかったのも覚えているので、またギャグに手を出したいなあと思う今日この頃。



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