たとえ届かないとしても。この手を伸ばしたかった。

あの子が笑った。
僕の前で無邪気に。
キラキラ、キラキラ。銀も、碧も。
僕は眩しくて、両眼を手で覆って光を遮ろうかと思った。
けれど、僕は、その輝きに、手を伸ばして触れたいとも思ったんだ…。















「草壁。あとの処理はしておいて」
「は。委員長はどちらへ?」
「商店街のほうへ行った風紀委員から連絡がこない」
「そうですか。お気をつけて」



草壁の見送りの言葉を背に受けて、僕は並盛神社を後にした。
陽が沈んだ頃、向かった商店街で見つけた風紀委員。他校の不良生徒数名に制裁を加えている最中だった。
あんな連中に何をてこずってるの。
僕はその場にいる全員を咬み殺した。弱い者はみな地面に這いつくばればいい。
むしゃくしゃしていた。
あの時から、ずっと。
思い出さないように僕は昨日も今日も書類整理に精を出したし、手が空けば校内の見回りや並盛の秩序を守るために動いた。
けれども、不快感は拭えない。僕の中にいつまでも居座り続けている。
小さく吐いた息は、どこか溜め息に似ていた。僕が溜め息を吐くとか、普通考えられないだろう。自分で驚いて自嘲気味に口の端から笑いが洩れた。
僕は携帯電話を取り出し見慣れた番号を呼び出す。コール二回で出た相手に用件を告げ、そのまま振り返ることなく夜の並盛へと体を溶け込ませた。










街灯の灯りで浮かび上がる町並みは、いつもと変わらぬ佇まいで、平和が保たれていることに安堵する。
そう。普段なら安心感で満たされるのに。
満たされない。
得られない。
苛々する。何に?誰に?
そんなこと分かりきってるじゃないか。ほかでもない、僕自身にだ。
…あの時、屋上で佇む獄寺を見かけた僕は、彼の肩口から漂う白い煙を目にして、うっかり事故以前のように話しかけてしまった。
過去に一度、言葉にしたものと同じようなことを。
風紀委員長の僕が、草食動物の、問題児である不良生徒なんかに、しかも僕と親しかった頃の記憶を失った獄寺に、ペラペラと通常では考えられないような台詞を。
しまった、と口を噤んだけれどもう遅くて。当然、獄寺はきょとんとした顔で。そうして。
そうして、声を上げて笑った。
信じられない光景に目を瞠った。まるで、当時のシーンを再現しているかのようだったんだ。
僕は愚かにも、あの子が戻ってきたのかと思ってしまった。
直前までの獄寺の眼差しを振り返ってみれば、そんなことあるはずもないのに。
錯覚とは言え、一瞬でも過去の幻影と重ねてしまった自分に虫唾が走った。
もう、あの子はいないんだ。
あの子が望むのならば、親しくしたことも思い出もすべて清算して、ただ並中の頂点に君臨する風紀委員長でいようと。そう決めたのは、この僕だというのに。







「あ」


と、短く声を洩らした少年は、片手にビニール袋を提げていた。
たまたま通りかかったコンビニの、偶然開いた自動ドアに、本当にたまたま視線を向けたにすぎなかった。
一体誰の仕業か運命のいたずらか、僕の目線はドアの向こうから出てきた人物のそれとぶつかって。
まさかこんなところで会うとは思わず、意表を突かれたせいで、つい足を止めてしまった。



「雲雀じゃねえか」



―――…獄寺。
夕飯でも買いにきたのだろうか。そう言えば、この近くには獄寺が住んでいるマンションがあるんだった。
ぼうっとして当てもなく歩いていたから、いつの間にか付近まで来てしまっていたのか。
僕としたことが。どこを歩いているかも気付かないなんて。



「まさかこんなトコでてめえに会うとはな」



そんなの、僕だって予想しなかったよ。



「こんな時間まで風紀の仕事か?」
「君には関係ないよ」



会いたくなかった。



「あ、…雲雀!ちょっと待てよ。これ」
「…なんのまね?」



立ち去ろうとした僕の動作は、眼前に突き出された手によって阻止された。
さっきまでぶら提げていたビニール袋を、差し出すように獄寺は僕の胸元まで持ち上げていた。



「お前、どうせこのあとも見回り行くんだろ?よかったら食えよ」
「……意味が分からない。それは君のでしょ?」
「意味って…。てめえも腹空かしてんじゃねえかと思って。俺はまた買えばいいし。サンドイッチ、食えんだろ?」



なに、言いだすの。
なんで、僕に優しくするの。
まただ。
また、僕は。
なぜ、期待する。こんな僕は、僕じゃないだろう。
本当に、不愉快だよ。



「…いらない」



浅ましくて愚かしい僕なんて。さっさと僕の中から消えて。



「いいから受け取れって」
「ちょっと、何を…!」
「これで借りは一つ返したぜ。じゃあな!」



獄寺は僕の手に袋を押し付けると、踵を返し再びコンビニの中へと入っていった。
閉まっていく自動ドアを見つめながら、一方的すぎると思いつつも、それでも店内へ獄寺を追いかける気にはなれなかった。
ほとんど無理矢理掴まされたサンドイッチ入りのビニール袋を、僕は視界の隅に映る“燃えるゴミ”と書かれた箱に放り投げることもできずに。ともすれば惚けそうな己を心で叱咤してコンビニへ背を向けた。





会いたくなかった。
気持ちが、揺らいでしまうから。
何も望まないと心に誓ってきたはずなのに。朝目覚めて、眠りに就くまで、僕は風紀委員長雲雀恭弥で在り続けると。
認めたくなかった。
腹の底から競り上がる感情を。
気付いていながら目を瞑った。
心の奥で息をひそめる醜い欲望に。
はじめから、無理だったんだろうか。この想いを抑え続けていくのは。
獄寺。
獄寺、獄寺。好きだよ。僕は君が好きだ。
たとえば、もう一度、すべてをリセットしてやり直したら、君はまた僕を好きになってくれるだろうか。
あの笑顔を、また僕に向けてくれるだろうか。
君の言葉も、仕草も、ひとつひとつ鮮明に思い出せるのに、それらをなかったことにするなんて、やっぱり僕にはできない。
一から、やり直してもいいかな。どうか、チャンスを与えてほしい。
ぞんざいに手渡されたコンビニの袋を、僕は大事に腕の中へと抱え直した。


毎日、晴れない苛立ちと、どうにもならない苦しさを感じていた。けれど、自分の本当の気持ちを素直に受け入れてみたら、うっとうしかった不快感が、少しだけ軽くなったような気がした。















あの子が笑った。
キラキラと輝く、銀と、碧。
眩しくて、まともに両眼を開けていられなくて、目を逸らしかけた。
だけど、僕は、どうしようもなく惹かれて。その目映い輝きを、手に入れたいと思った。



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