たとえ届かなくても。この声が掻き消されても。

雲雀はすたすたと近付いてきて俺の隣に立つと、フェンス越しにグラウンドを眺めた。



「沢田をほっといていいの?」



こちらを見ないまま雲雀は口を開く。君は彼の右腕なんでしょ、と。
10代目最優先である俺の頭の中にそのお顔が浮かぶ。ああ、申し訳ありません。
昨夜から胸中で謝罪の言葉を繰り返している。10代目の側を離れたあげく一人で先に帰らせたんだ。何度謝っても足りない。俺自身、どうして放課後を選んでしまったのかと幾許か後悔したほどに。
けれど、撤回しようとは思わなかった。今日だけは。
10代目ならきっと分かってくださる。心の広いお方だから。用事が何なのか話すことはできなかったけれど。



「今日は、大事な用があったからっ…。10代目には、無事到着なされたか、あとで連絡する」
「そう。で、僕に話って何なの?」



雲雀は単調な声で返事をして、いきなり本題に入る。
前触れもなく振られたから、まごついて今まで忘れていた緊張が再びぶり返してきた。
カシャリ。
雲雀の手がフェンスを掴む。少し体を捩って。視線は、真っ直ぐに俺へ。



「…あ……あの、な…。えっと…っ」



やべぇ。めちゃくちゃ鼓動が早ぇ。頭ん中真っ白になりそう。
怖い。言えない。言わなきゃ。逃げだしたい。伝えたい。
いろんな感情でぐちゃぐちゃだ。声が出ねぇとか、俺ってこんな臆病だったのか?何のために決心したんだよ。たった一言でいいんだ。



「俺っ…俺、お前が好きだっ」



言った!
うわ、俺すげぇ震えてる。かっこわりぃ。けど、ちゃんと言えた。
ずっとしまっていた想いを声にしたからか、伝えられたという満足感からか、急に冷静に恥ずかしくなって。雲雀から視線を外した。
男から告白された雲雀が、決していい気分ではないということは予想できる。



「獄寺。僕は、」
「好きになってほしいとかじゃねぇんだ!ただ、俺の気持ちを知ってほしかった。ごめん。気持ちワリィよな…」



ほんのり冷たい風が、二人の間を吹き抜けていく。数秒間の沈黙が、どこか暗い雰囲気に包まれているように感じて。
いつもの俺はどうしたんだよ。笑え。笑えよ。



「…獄寺。聞いて」
「へ、返事はいいから!俺、大体分かってるし」
「えっ…」
「そろそろ行くわ!10代目も気になるしな」



少し瞳を見開いた雲雀が、何か言おうと唇を動かしかけて。俺はそれを見て見ぬフリして背中を向ける。
聞きたくなかった。今は。
今日はサンキュ。僅かに首だけを傾けた。雲雀がどういう表情をしていたかは分からない。



「ちょ、ちょっと待ってよ…!」
「じゃあな!」
「獄寺っ…」



バタン、と俺と雲雀を遮る扉。
拳を握りしめて一気に階段を駆け降りた。自分の呼吸と心臓の音がやけに耳に付く。
最後に名を呼ばれて、また胸が震えた。いつもどおりに笑えていただろうか。情けない顔をしてなかったならいいけれど。でも、これで気持ちに整理がつく。
熱は冷めてくれる。
大丈夫。
雲雀が俺を避けるようになったらきついけど。時間が経てばきっと平気になる。最初から、受け入れてもらえるなんて思っちゃいない。
…なんでだろう。おかしいな。目頭が熱くなってくる。
ああ、そうか。紅く染まった空が目に痛いからだ…。















校門をくぐり抜けると、後ろから短い声が上がった。どうもそれは身近なよく知る人物のものに似ていて。誰とも話す気にはなれなかったから、振り向かなかった。



「獄寺!」



無視しようと思った。相手を知っていればこその行為。元々、奴とは仲良しでも何でもない。
呼びかける声が聞こえてくるのもかまわず、俺は歩を早めた。



「獄寺って!」
「……なんだよ」



肩を掴まれて、声の主山本の方へ半身向かされる形になって。仕方なく返事をした。



「ツナは一緒じゃないのか?お前が一人なんて、どうしたんだ?」
「10代目なら先にお帰りになった。俺のことはてめぇにはカンケーねぇ」



山本の手を払って進行方向へ向き直る。足を踏み出せば山本も同じように一歩足を前に出した。
こいつ付いてくる気かよ。



「んな言い方すんなって。なあ、一緒に帰ろうぜ?」



一人で帰れ。誰かを相手にする気分じゃねぇんだよ。
拒否の意思を表示するかのごとく煙草を取り出して咥えた。けれど、長い影は離れていく気配がなかった。にこにこと話しかけてくる野球バカにイライラする。



「獄寺がツナの側を離れるなんて、ほんと珍しいよな。ツナも驚いてたんじゃね?あ、聞いてくれよ獄寺、俺この間うっかり鼻から牛乳出しちまった。あはは。そうだ、獄寺このあと俺んちで寿司食ってかね?」
「っ…うるせぇっ!!もうほっとけよ!」



我慢の限界だった。
こっちの気も知らずにマイペースに喋り続けるこいつが。こいつの笑顔がうざったくて。
煙草を投げ捨て、並んで歩いていた男の胸倉を乱暴に掴んだ。



「なんで俺がてめぇんちで寿司食ってかなきゃなんねーんだ!冗談じゃねぇっ!そもそもてめぇ部活はどうしたっ」
「ん?今日はミーティングだけだったのな」
「あーそうかよ!だったらさっさと帰って素振りでもやってろ!」
「はじめはそう思ったのな。でも、獄寺が元気ねぇから」
「…は?」
「さっき学校で見かけた時、獄寺が何か辛そうな顔してたから、声かけたんだ」



なに、言ってんだ?こいつ。
俺が辛そうな顔?雲雀のことで、みっともなく顔に出ていたかもしれねぇけど。それがどうした。
俺がどんな顔していようと、こいつには関係ないだろ。ましてやこいつの予定を変更するほどの要素になりえることか?訳分かんねぇ。





「あっ、お前どこ投げてんだよー」





茫然と目の前の男の顔を見つめていたら子供の声が耳に入って。山本の視線が足元に落ちた。
力の緩んでいた俺の手から、するり、とシャツが離れる。山本が屈み込んだことで、そこに何があるか気付いた。
野球のボール。
お兄ちゃん投げてー、と幼い声が届く。
拾い上げた山本が、投げ返そうと腕を上げた次の瞬間、手を滑らせたのかボールは落ちて。歩道を越えて道路へと転がっていった。



「あ、やべ」



山本は決まりが悪そうに頭を掻くと、ボールを取りに道路へと走って行く。
その姿を追っていた俺の視界には、転がる野球ボールと、その場所へ向かってくる軽トラックが映っていた。



「バカッ……山本!!」



俺の叫びに近い呼び声に、車道の真ん中で山本が振り返る。
すでにガードレールを飛び越えていた俺は、力いっぱい山本を突き飛ばした。
何が起こったのかとびっくりした表情の野球バカ。まったく、間抜けヅラなんだよ、てめーは。





ドンッ、と体を襲った衝撃。















遠くで、悲鳴が聞こえる。救急車を呼べという声も混ざってる。
…うるせぇ。頭に響く。
獄寺、と雲雀の声が聞こえたような気がした。
脳裏と瞼の裏に浮かぶ雲雀の顔。俺の好きな、優しく笑う、あの。
だんだん、白い靄がかかる。やめろ。見えなくなる。心の中で必死に叫んだ。もうちょっと見ていたいのに。
…なあ、雲雀。俺、諦めなきゃいけないのに、嫌われたくないと思うんだ。矛盾してるよ。
未練がましいよな。お前との関係、けっこう好きだった。心地よかった。自分から壊しちまったけど。
お前のこと、好きになっちまったから。お前はこんな俺、望んでなかったろう?不快な思いさせて、ごめん。ほんとにごめん。
もし、許されるなら、せめて以前の二人に戻れるといい。お前もそうだといいんだけどな。
こういうこと考える俺は、なんて愚かなんだろう。
普通、男に恋愛感情を抱く奴と知って、前と同じ扱いができるか。それを求めるのもおこがましい。
この気持ちを終わらせるからと告っといて、返事を聞く勇気もない。勝手すぎる自分に反吐が出そうだ。
分かってる。十分すぎるほどに。分かってるけど。
俺、明日からもいつもどおりに笑えるかな。
お前に会うのが怖いよ。拒絶の眼差しを向けられるのがたまらなく。
俺、いつもどおりに笑うから。
悪態ついて、ダイナマイト持ち出して。今までみたいに。何も変わらず接するから。
だから。なあ。
頼むよ。
お願いだから、俺を無視したりしないで…。



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