足音もなく日常は遠ざかって。置いて行かれたのは、あの日の僕。

昨日も、おとといも、あの子は来なかった。
沢田も山本武も登校する姿は見かけたのに、あの子だけ見なかった。
もう五日目になる。
あの子の怪我の具合が気になる。
あれから僕は事故に遭った生徒のことを風紀委員に調べさせた。銀髪の男子生徒はやっぱり獄寺で、近くの総合病院へ運ばれたとのことだった。
起き上がれないほどの重症なのか。長い間入院しなければならないような怪我なのか。
あの草食動物達なら知っているだろうから、すぐにでも呼び出して聞き出そうかと思ったけど、なぜ僕が獄寺の怪我の具合を知りたがるのか不思議に思うに違いないし、獄寺が嫌がるかもしれないと、何も聞けないまま今日まで来てしまった。
もどかしさととにかく獄寺のことが気がかりで、イライラは募るばかりだ。
沢田の隣にも、いつも授業をサボって煙草を吹かしに来ていた屋上にも、あの子の姿はない。
今日は、来るだろうか…。















草壁以下、ほかの風紀委員に風紀検査を任せ、僕は校門の横で登校してくる生徒を眺めていた。
風紀検査という名目で、獄寺が来るのを待っている。
会いたかった。一目でもいい。無事な姿をこの目に収めたくて。そのためだけに机の上の書類整理を後回しにしてここに立っていた。
委員長、と委員の者に声をかけられるたびに、邪魔しないでよと思う。
今また呼ばれて、そんなに咬み殺されたいのかと生徒の波から視線を外す。名前も覚えていないような下っ端に向かい合うと、ふと何やら後方が騒がしくなった。



「だからテメーはさっきから、いい、っつってんだろ!」



獄寺!?
耳が拾い上げるクリアな声。
待ち望んだその声を、聞き間違うはずがない。僕は下っ端を無視して振り返った。



「ああ、もう!一人で歩けんだよ!」
「でも獄寺が怪我したのは俺のせいなのな。だから、手」
「取るか!!この野球バカ!大体てめぇっ、人の話聞いてなかったのかっ。てめぇのせいじゃねえって言っただろうが!」



朝日で煌めく銀色。揺れるそれに駆け寄りたい衝動をぎりぎりで抑え込む。
獄寺…。
獄寺。獄寺。よかった。動けないほどの大怪我じゃなかったんだね。
でも、歩き方が変だ。ギプスをはめてるの?頭にも包帯を巻いてる。



「なんだよ獄寺、照れてんの?人前じゃ恥ずかしい?俺は気にしないのな!だから遠慮することないぜ!」
「照れてねぇっ!遠慮もしてねぇっ!嫌がってんだバカ!」



ぎゃあぎゃあ喚き散らす獄寺に、まあまあ、と苦笑いで二人を宥める沢田。そんな三人に僕は近付いて。



「朝から何を騒いでるの」
「!…ひ、雲雀さん!」
「うっす、雲雀!」



顔面蒼白になりながらビクつく沢田、にこやかな笑顔で挨拶をしてくる山本武とは対照的に、仏頂面で顔を背けている獄寺の前に立つ。



「君達、もっと静かにできないのかい?」
「す、すみません雲雀さん」
「10代目!謝る必要ないですよ!10代目は何もしてないんですから。テメー雲雀!偉そうにすんじゃねえ」



頭を下げる沢田の前に回り込んで、獄寺が僕を睨む。
意志の強い翡翠がたまらなくうれしかった。数日前と変わらない日常が、ここにある。
そんな些細なことが僕の心に安堵とうれしさをもたらしてくれる。
獄寺の拒絶を垣間見てから、この子はもう僕を見てくれないのではないかと、今までの当たり前が失われるんじゃないかと、不安で仕方なかった。



「ずいぶん威勢がいいね、獄寺隼人。負傷して少しはおとなしくなってるかと思ったけど、お医者様はそういう薬は処方してくれなかったの?」
「んだと、てめぇ!」
「違反も相変わらず。アクセサリー、シャツ、スラックス」
「…けっ」
「アクセサリーは禁止だって言ったはずだよ。君は制服もまともに着れないの?」
「毎回毎回うるせーんだよ、てめぇは。こんな奴が守護者だなんて…」



身だしなみを注意して、態度の悪い獄寺を挑発するような文句を言えば、ブレザーの内側から取り出されるダイナマイト。
いつもどおりのはずなのに、微かに感じた違和感。



「10代目!ほんとにこいつもボンゴレの守護者に選ばれたんですか!?こんな、ムカつく奴で、ちょっとしたことでも誰彼かまわずすぐ咬み殺そうとする奴が!」




なんだ?この違和感は一体なんだ?



「…あはは……うん、まあ。…雲雀さんに聞こえてるよ獄寺くん…」



沢田の態度は普段と変わらない。山本武が気持ち悪いほど満面の笑みで傍観しているのも。獄寺が悪態をつくのも、何ら。
だけど、おかしい。
そう。おかしいのだ。獄寺の発言が。



「おい、雲雀。てめぇが雲の守護者のリングを授かったなんて俺は認めたくねぇが、10代目が仰るならそうなんだろう。そのリング、失くすんじゃねぇぞ!今もちゃんと持ってんだろうな!?」
「…ちょっと、」
「てめぇのことだから要らないとか言って捨ててねぇだろうな!?見せてみろ!」
「沢田綱吉」
「は、はい!」
「これは何の冗談だい?」



ついこの間、十年後の世界で、この指にリングが嵌めてあったのを獄寺はちゃんと見た。
現代に戻って、用済みだ何だと処分したかもしれないと疑うのは自由だ。けれど、今リングがどうのと言うのは。その言い方は。
あまりにも不自然だ。
沢田を一瞥すれば、困ったように笑って、えーと悪気はないんです、と返事が返ってきた。
僕が求めてるのはそんなことじゃないよ。悪気がないのは獄寺の表情を、瞳を見ていれば分かる。



「沢田は僕と一緒に応接室に来て。残りの二匹はさっさと教室へ行くんだね。…獄寺はあとで反省文を書いて持ってきて」
「んなっ!?こら雲雀!!てめぇ10代目に手荒なことする気じゃねぇだろうな!?んなこと俺が許さ、」
「獄寺くん!大丈夫だよ。ちょっと行ってくるから、二人は先に行ってて」
「行くよ」



獄寺がまた喚くのを背中に受けて、実際頭の中は訳が分からない状態だった。
人前で獄寺の態度が悪いのもいつものことだ。風紀検査の時のやりとりも決まってあんな風で。
だけど、なぜ急にリングの、然もごく最近知ったように話をするのか。演技をしていたとは思えない。僕を馬鹿にして嘲笑う素振りも含まれていなかった。
分からない。何が、どうして。
沢田が、獄寺のことを知りたがる僕を何か不審に思うかもしれないとか、獄寺を怒らせてしまうとか、考えるどころではなかった。
獄寺の異変の原因を突き止めなければと、沢田に応接室に来るよう声をかけていた。
ほんの数分前の安心感はどこへ。名残さえ一切感じられない。別のものに完全に拭い去られてしまっている。
こんなにも。
僕は言いようのない胸騒ぎを覚えていた。



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