cap.U 【ff】

始まりは、一本の電話だった。















「失礼します。お呼びでしょうか、10代目」



ある晴れた日の朝、俺は10代目に呼ばれて10代目の執務室を訪れた。
自分の執務室で、部下が持ってきた報告書に目を通そうと、書類の束に手を伸ばしてすぐのことだった。内線が鳴ったのは。
日頃から、獄寺くんは仕事たくさん抱えてるからと、一日の打ち合わせのあとは滅多なことでは俺を呼ばない10代目が、部屋に備え付けの電話を鳴らした時点で、十分驚くべきことなのだ。
部下にまで気を遣われるそんなお方が、たった一言で通話を終わらせた。
声に切羽詰まった様子は見受けられなかったが、受話器を置いた時には身が引き締まる思いがした。
電話ではすませられない内容なのだ。重要な話か任務であることは容易に予想できた。
黒い革の椅子に座り、デスクの上で指を組んでいた10代目は、俺の顔を見ると表情を和らげた。



「忙しいのに呼び出してごめんね」
「いえ、10代目がお呼びとあればすぐに駆けつけます。それで、お話とは?」



普段と同じ穏やかな微笑を向けるボスに、俺はここに呼ばれた理由を問うた。



「ディーノさんから連絡が入ってね」
「跳ね馬から?」



キャバッローネのボス、ディーノから連絡が入るのはとくに珍しいことではない。食事の誘いであったり、用もなく(本人いわく「弟弟子の様子を窺いに」らしいが)電話を寄越したり、よくあることだった。
そういう私用であれば、10代目がわざわざ俺を呼び出してまでする話でもない。
どうやら、今回は。



「キャバッローネは何と?」
「最近、怪しい麻薬が出回っていることを教えてくれたよ」
「麻薬?」



聞き返した俺に、目の前の敬愛する唯一無二のお方はゆっくりと首を縦に振って、高級革の椅子の背もたれに深く体を預けた。
茶色い瞳は色濃く、その奥に在る憂いや見据える未来は、俺なんかでは到底計り知ることはできなかった。





跳ね馬からの一報は、本部の回線からではなく、10代目に直接掛かってきたと言う。
今はまだボンゴレ全体に知らせるほどでもないということか、大っぴらにできない事態が発生したかのどちらかだった。







『ディーノさん、おはようございます。今日はどうしたんです?』
『ツナの耳にも一応入れておいたほうがいいと思ってな。ある噂を聞いてな』
『噂、ですか?』
『ああ。最近マフィアの間で妙な麻薬が出回ってるらしい。どんな作用かは不明だが、危ない薬であることは間違いない。死人も出てる。バラッツァの幹部もそれで死を遂げたという噂だ』







「……すでに4人、ですか?」
「うん、亡くなってる」



俺は再び沈黙した。短期間のうちにマフィアの幹部が何人も薬物中毒で亡くなっている事実にも、新種の麻薬が出ていることにも。
―――聞いていない。裏社会の動向や犯罪はすべて俺の耳に入る。たとえ表沙汰にならずとも、どこかしらから情報は流れてきてもいいはずだ。
そんな噂や麻薬の存在が、ボンゴレの耳に届いていないなど信じがたかった。



「おかしいですね。それなら俺に報告が上がっていてもいいはずですが…」
「彼らの死は、麻薬が関係しているとは報じられていなかったし、その麻薬にしてもバラッツァの幹部の件ではじめて存在が分かったらしいんだ」



ずっとボンゴレの勢力範囲外で密かに売られていたうえに、ほかの事件に埋もれて表面化していなかったために今まで気付く者がいなかったのではないか、と。
死亡した残りの三人はその謎の麻薬に手を出していたという決定的な証拠がなく、憶測でしか語れないが、跳ね馬は彼らの死に方に疑問を抱いたようだ。
正体不明の麻薬が世に出始めたのは推定一月半前。
聞くところによると、どこからどのような手段で麻薬が売買されているのか、キャバッローネの力を持ってしても突き止められていない。
急速にあちこちのマフィアの手に広まっていることから、ボンゴレの島にもいずれは、と懸念して電話をかけてきたらしい。



「ディーノさんはまた何か分かったら連絡すると言ってくれてる」



一度警察の目を逃れた奴は、おとなしく反省するでもなく再び活動するものだ。窃盗にしろギャンブルにしろ味を占めたらやめられなくなるのと同じように、麻薬を売る側も買う側もそれぞれの利益や快感を求めてまた繰り返す。
今日もどこかで誰かの手に渡っているかもしれない。
被害が拡大していくのを見過ごすわけにはいかない。放っておいたらボンゴレの島に流れてくるのは時間の問題だ。
それにしても、一体どんな麻薬なんだ。一ヶ月そこらで四人も命を落とすなんて、早い。早すぎる。
10代目も、その身に宿る超直感で何かを感じ取られているのか。



「獄寺くん」
「はい、10代目」
「この件について、君のほうで調べてくれないかな」
「分かりました」
「面倒な仕事を増やしてごめんね。多忙さは重々承知だけど、みんな任務に出てて、今は頼める人が君しかいないんだ」
「あ、謝らないでください!俺ならまだまだ余裕があります。任せてください」
「ありがとう。あまりに情報が少なすぎるから、ひとつでも多くのことを知りたい」



俺は静かに頷き10代目の執務室を後にした。
10代目の余計な心配事や悩みの種は、ボンゴレの守護者として、10代目の右腕として俺がすべて排除してやる。
そう心に強く思いながら、長い廊下を歩きだした。



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