cap.U 【ff】

10代目から調査を任されてから、三週間余りが経とうとしていた。
毎日俺の元へ来る知らせは、異常なしか変わりなしで、売人へ繋がる手掛かりは何も得られないまま。
バラッツァら四人の身辺は調べ上げ、所属ファミリーも家族や親しい人間も監視したが、それらしき人物と接触した様子も見られず、売買や製造とは無縁のようだった。
街の情報屋からも、跳ね馬からも、麻薬について新しい情報を仕入れたという話も一度も聞かない。
進展の兆しは見えなかった。
そんな折、隣町のマフィアの幹部が一人死んだというニュースが俺のところへ飛び込んできた。



「ブルネッティが?」
「はい。昨日飛び込みを図ったらしいです。即死だったようですが、一緒にいた仲間が『ブルネッティが死ぬ前に突如高笑いを始めた』と話していたそうです」



部下が持ってきた話は、敵対マフィアの同盟ファミリーの動きを探っていて、たまたま手に入れたものだった。
ブルネッティはボスである伯父のやり方に反感を持っており、最近は独りで行動することも多く、そのせいか彼の死は、何か悩みがあったとして自殺で片付けられたと言う。
それっぽい札が揃っていれば、そう判断されるだろう。身内との折り合いが悪く、これまでの鬱憤が溜まりに溜まってとか、嫌気がさして気が触れたとか、そういう理由でこんな結果を招いたと思われても仕方ない。
車道に飛び込んだ、と目撃している奴までいては、自殺で納得しない者などほぼいない。
10代目から跳ね馬の話を聞かされていなかったら、俺もブルネッティの死に何の疑問も持たず、気にも留めなかっただろう。



「自殺じゃねえな。それまで奴に不審な行動は?」
「ありません」
「麻薬をやっていたという噂は?」
「それもありません。ただ、彼が所持していた財布の札入れの中に、‘ff’と書かれた紙切れが入っていたそうなんですが、それが何なのか誰も分からないという話です」
「ff?…なんだ?何かの略か暗号か?……記号、フォルティッシモ…?」



‘ff’というアルファベットだけ見れば音楽記号だが、奴が楽器を習っていたなんざ聞いたことがねえ。音楽とブルネッティを結びつけるのは無理があるだろう、と俺は考えを改めた。
書きかけの文字とは考えにくい。やはり何かの略という線が濃厚だ。仲間も誰も知らないということは、ファミリー内で使われている暗号ではないということ。



「気になるな。それも一緒に調べてくれ」



解明されれば調査中の麻薬に大きく近付けるのではないかと思った。組織やブローカーの名前、場所などを特定できるのではないかと。
この三日後、俺はもっと重大な知らせとともにその答えを知ることになる――――。















俺は繁華街の路地裏を歩いていた。ボンゴレとの同盟を申し出たファミリーの本拠地へ、対談前の打ち合わせに赴いた帰りだった。
車をパーキングへ停め、人の流れに沿って進んで、飲食店が並ぶ通りにさしかかった時、脇の細道に入った。もう一つ別の大通りへ出るための近道だった。
車のエンジン音や人声は小さくなり、じめじめとした日陰が続く。しばらく歩くと大通りが見えてきて再び喧騒が戻ってくる。
通りに出た俺は、映画館の隅に背を預け、ポケットから取り出した煙草を咥えた。



「ボンゴレの小僧」
「…うっせーぞ、クソジジイ」
「ひょっひょっ、誰がクソ爺じゃ。もっとマシな挨拶はできんのか?」
「てめえこそ、もっとマシな呼び方はできねえのかよ」
「ひょひょひょ、儂だって爺ではないわ。まだ68じゃ、この若造が」



口の減らねえジジイだ、と言い返しそうになるのをぐっと堪え、煙草を咥えたまま大きく息を吸い込んだ。
話しかけてきたのは情報屋の男。長年ボンゴレに協力し、情報を提供してくれている。
男は俺の足元、つまりは映画館の角を曲がったところに座り込んで、他人のふりをして俺の耳が拾える音量で話し続ける。情報を仕入れた時は、俺が煙草を吸い終わるまでに声をかける。それがルールだった。



「昨夜、隣町のバーで、黒服の男が電話で誰かとおもしろい話をしているのを聞いちまったのよ」
「なんだ?」
「その男は、こう言っておった。『フォルティッシモだ。次はいつだ?』と。音楽の話でもしとるのかと思ったが、やけに切羽詰まっておるから、つい聞き耳を立ててなァ」



フォルティッシモ?…フォルティッシモだと?
俺は、数日前のブルネッティの件を思い出した。‘ff’という謎のアルファベットを、俺は音楽記号かと思ってしまったことを。



「そいつは、こうも言っておった。『フォルティッシモが切れそうなんだ。今どこにいる?ボンゴレの!?見つかったらどうする!あの方のご意向なのか』…とな」
「ボンゴレ…!?」
「この話、お前さん達が探しとる麻薬と関係あるんじゃないか?」



ボンゴレの名を聞いて、思わず指に挟んでいた煙草を落としそうになった。
話の流れからすると、‘フォルティッシモ’というのは男にとって必要な物を指していて、その必要な物は電話の相手が持っているかそいつにしか用意できない物。
おそらくそれは俺が調査している麻薬に違いない。



「関係あるもなにも、まさしくそれだぜ…」



ブルネッティが持っていた紙切れの、答え。なんだやっぱりフォルティッシモと読むのか、などと悠長に感心するどころの話ではない。
売人はすでにボンゴレの島に潜り込んでいる。一体いつから。



「電話してたのはどこのどいつだ?」
「あれは、パルテニオファミリーのベルナルド・スペランツァと記憶しているが」
「!…スペランツァ」



その名はとても記憶に新しい。今朝方、自宅の部屋で死んでいるのが発見された。パルテニオファミリーの事実上のナンバーツーだ。
銃で頭を撃ち抜いたのが死亡の原因で、家族の証言などから自殺と判明。と、新聞の記事にもなっていた。
死にたかったから自ら頭を撃ったと言うのか。記事を見て、そんなわけねえだろうと俺は失笑した。
奴もまた、麻薬をやっていた一人で中毒死だろうと予想していた。情報屋の話から察するに、どちらかというと麻薬の禁断症状による衝動性。そう考えるのが妥当だった。



「昨日の今日でこれだ。ニュースには儂も驚いた。自殺というのも何やら怪しい。儂が奴を見てから一時間足らずの事件だったからなァ」



例えば、昨晩この男が街に戻り即刻俺に連絡し、俺がスペランツァの屋敷に向かったとして、奴の最期には間に合わなかっただろう。
なんてタイミングの悪さだ。



「新しいことが分かったら、また知らせてくれ」
「ああ、分かっとる。…この件、なにやら厄介そうじゃの」



白髪の男の呟きを聞きながら、フィルター近くまで吸った煙草を、長くなった灰と一緒に携帯灰皿へ押し付けた。



「…今回の分は口座に振り込んでおく」



その言葉だけを置いて、俺は人ごみに紛れ込んだ。
残された男にも、俺にも、目を向ける者は誰もいなかった。



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