cap.V 【ファウスト】

「何か用か」
「何か用か、はないだろ。久しぶりだってのにずいぶんな挨拶だなあ」



開口一番俺が放った言葉に、相手は電話口で呆れたような声を洩らした。



「なに言ってんだ、てめーは。三時間ほど前にてめえが10代目を迎えにきた時に会ったばっかじゃねーか」



今日、10代目のスケジュールには、ボンゴレと同盟ファミリーのボス同士で開かれる会食への参加があった。
電話機の向こうの男―――跳ね馬ことキャバッローネ10代目ボス・ディーノももちろん参加者の中に名があって、本人の希望により会食が行われるホテルまで10代目と同行しているのだが、それがほんの数時間前の話だ。
10代目が本部不在となるため代わりに俺が残ったが、見送る際に跳ね馬とはしっかり顔を合わせている。
長々と話をしたわけではないが、挨拶を交わすぐらいのやりとりはしたというのに。呆れた声を出したいのはこっちのほうだ。



「だって、さっきはほとんど口きいてないだろ?」
「で?さっさと用件を言えよ」



あの時は遊びにきたんじゃねえんだしダラダラとくっちゃべるわけねえだろ、と心で言いつつ跳ね馬の言葉を切り捨てた。
向こうはどうなのか知らないが、こっちは仕事中だ。ペンを走らせながら話を聞いている。
受話器から小さな吐息が聞こえたような気がするが、きっと俺の気のせいだ。跳ね馬の溜め息ではないだろう。俺は何も聞いてない。



「獄寺。お前、相変わらず毎日毎日仕事ばっかりしてるんだろ。たまには息抜きも必要だぞ」
「…説教聞かせるためにわざわざ電話寄越してきたのかよ」
「ははは、…まあ、お前は休むべきだと思うが、ボンゴレ10代目の右腕がそう簡単に休めないのも分かってるつもりだ」
「だったらなんだよ?お前が“俺に”電話なんざ」
「ツナが、麻薬の件はすべてお前に任せてあるから直接連絡してくれと言ってたんだけどな、何もなしだ。すまないな」



なんで跳ね馬が謝るんだ。
最初にこの件を知ってからひと月以上が経ち、いまだ麻薬の正体もブローカーの居場所も掴めず足踏みしているのは誰のせいでもない。あえて誰かのせいにするのならば、それは俺だろう。
己の不甲斐無さに苛立ちこそすれ、周りの人間が悪いなどとは思わない。



「別にお前が気に病むことじゃねえだろ。そんなことが言いたかったのか、てめえは」
「いや…、今日電話させてもらったのは、恭弥のことだ」



それまで、意識的には手元のほうに分があって、言葉の端々しか聞いていなかった俺は、思わずペンを止めた。



「…雲雀がなんだ?」



静かだった心の表面が心なしか波立ったような気がした。その名を聞いただけで、いとも容易く俺の意識はそちらに向く。
俺は握っていた万年筆を置いて、跳ね馬の話に耳を傾けた。



「おととい、あいつと少し話したんだ。お前がツナにこき使われて休みがないから、ゆっくり会ってもいないって」
「…は?」
「ついでに、忙しいからと電話もしてくれないって言ってたぞ」
「ちょ、ちょっと待て。待てよ。忙しいのはあいつもだろ。大体、俺はこき使われてねえよ」



10代目に嫌みでも言いたいのか、あいつは。俺は内心舌打ちした。
俺の睡眠時間がちょっとでも減ったり、俺が休まず連日働いたりするたびに、雲雀の中ではすべて10代目が悪いということになった。
どんなに俺が、自分が好きでやってんだと説明しても、あいつの出した結論が変わることはなかった。



「獄寺。お前が自ら進んで仕事をやってんのは俺も知ってるけどな、最近休みは取ってるのか?」
「今は休むよりほかにやることがある。てめえも俺が休めねえのは分かってると言ったろ」
「それはそうだが、たまにはあいつもかまってやれよ?きっと寂しがってる」
「言いたいことはそれだけか?ンじゃ、切るぞ」



受話器を通して男の少し慌てた声が聞こえてきたが、無視して電話を切った。目の前にどれだけの書類が山積みになってると思ってるんだ。あの金髪イタリア男にも見せてやりたい。
おかしいと思ったんだ。跳ね馬が俺に電話してくるなんて。
はじめは仕事の話かもと考えなかったわけじゃない。けれど、その割には頭から口調が軽めだったし、前置きが長すぎる。
兄貴気取りなんだか雲雀の家庭教師だか知らないが、俺達のことにまで余計なお世話なんだ。
休まないのはたまたまそういう状況になっているだけで、雲雀をかまってないわけじゃないし、その存在を忘れているわけでもない。
いつだったか連絡を取った時に、俺が仕事で手が空かないと話したら、あいつも丁度多忙なんだと言ってて、しばらく会うのも電話をかけるのも控えるということになった。
雲雀の記憶の中で、どう改竄されて跳ね馬に伝わったのか。あれは二人で決めたことだった。10代目が俺を酷使するとか、電話はしないとか、俺は一言も言ってない。
ただ、俺にとっての最優先は常に10代目で。麻薬のことも早急に解決させて安心を届けて差し上げたくて。
現状、手がけている任務や仕事を片付けてしまわないことには、一日も早い雲雀との逢瀬も叶わないと思っている。
忘れているわけじゃない。
あいつだって仕事が忙しいと言っていたんだ。
その声を聞いたのはいつだった?
優しく髪を撫でてくれたのは?
あいつの香りに包まれたのは、いつのことだった?
寂しがってるのは、本当はきっと俺のほうだ。
会いたいんだよ、雲雀。



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