cap.V 【ファウスト】

部下からの報告を受けて、俺は一人の男と会った。
一般人だが、ボンゴレとは友好関係にある力も規模もそこそこなファミリーの末端の人間と親しく、ffと関わりを持ったらしいと聞き、俺のほうから会いたいと言った。
売人の名や潜伏場所を唯一知っていたスペランツァを一足違いで失い、その二の舞になるのは避けたかった。すぐに部下へ指示を出し、場所を指定して待ち合わせした。
選んだのはボンゴレの馴染みのカフェ。
テーブルを挟んで対面するなり、相手は明らかな怯えを見せながらも、フェデリコという奴を探してくれと第一声を発した。
唐突かつ人を探してくれなど訳が分からない俺は、とりあえず座るよう促し、店員にコーヒーを二つ頼んで自分も椅子に腰かけた。



「まず順番に話してくれねえか?」



思い詰めたような顔をしている男に、俺はできる限りの険を取り除く努力をしつつ話を進めた。
男は気持ちを落ち着かせるようにグラスの水を数口飲んで、一度深く息を吐くと手元に視線を置いたままぽつりぽつりと話し始めた。



「…一度、フェデリコの部屋で間違えてあいつの煙草吸ったことがあったんです…煙草だと思ったら違ってて」
「麻薬か」
「はい…。フェデリコはそれが‘フォルティッシモ’という麻薬だと教えてくれました。ファウストという奴から手に入れたんだと」
「…そいつだ。そのファウストってのがどこにいるか言ってなかったか?」



俺の問いに男は首を横に振った。そうして、ファウストという奴が麻薬に関する一切を口外無用としていること、元々麻薬には名はなく、取引の際に使われる合言葉‘ff’をファウストが‘フォルティッシモ’と音にしたのがそのまま麻薬の呼び名になったきっかけだと、そう親友から聞いたと教えてくれた。
今まで親友が麻薬をやっていたことは知らず、いつからブローカーと接触していたのかも不明と言う。
その親友、フェデリコが数日前から行方が分からなくなっていて、連絡はないし心当たりはあたったが見つからないと俺に訴える。



「あいつが失踪なんて、嘘だ!ファウストなんて得体の知れない奴と付き合ってたから…なあ、あいつも探してくれよ…!」



ボンゴレの力ならできるだろ、探してくれ、と男は哀願する。
人探しはもっぱら警察の仕事だ。だが、事件性もなく、ましてや相手がマフィアともなれば行方知れずはよくあることで、警察もどこまで手を差し伸べてくれるか分からないこともこの男は知っているんだろう。
男は祈るように両手の指を組み合わせ額に押し付けた。



「幼馴染みなんだよ…!なあっ、あいつ生きてるよなあっ?無事だよなっ?頼む、見つけてくれよっ…頼むからっ…」
「…今の段階じゃなんとも言えないが、もし見つけたら知らせてやる。だが、生存確率は極めて低いことを頭に入れておけ」



縋る男に俺はまるで突き放すような一言を告げた。
ffに手を出した人間はみな残念なことに悪い結果を迎える。過去報告を受けた連中は全員哀れな末路を辿っている。この現実も教えてやらねばならない。
親友が帰らぬ人であることを示唆されて、蒼白だった男の顔がさらに青さを増したが、慰めの言葉はかけなかった。
ここまで出向いてくれたことに感謝を述べ、俺は冷めかけたコーヒーを口に含むと席を立った。
テーブルを離れる間際に、一つ聞き忘れていたことがあったと思い出して、もう一度男へ視線を合わせた。



「お前、誤ってffを吸っちまったんだろ?どんな薬だったか覚えてるか?」
「え、えと…すぐ取り上げられたからあんまりよく覚えてませんけど…」















男を家まで送って行くよう部下に指示をして別れ、俺は一人ボンゴレに戻ってきた。
執務室のソファーに体を投げ出し、小さく息を吐けば、もうずいぶんベッドでゆっくり睡眠をとっていないな、なんてことがふっと頭に浮かんできた。
部屋に戻っても一時間かそこらの仮眠。頭の中はいつだって仕事のことだらけ。ここひと月半は麻薬のことが四六時中脳内をぐるぐる駆け巡っていて、スケジュールの合間を縫っては調査にあたり、ろくに休みもしなければ疲れを感じる暇もない。
情報屋から聞いたスペランツァの話―――『あの方』の正体も居場所も突き止めなければならなくて。
今日会った男の話と合わせると、スペランツァが電話で話していた相手が、ファウストという奴になる。
どこかの組織の人間なのか。『あの方』が組織のトップということも大いに考えられる。
キャバッローネの探索も、ボンゴレの情報網にも引っかからず麻薬を売りさばくなど、並の人間では不可能に等しい。
余程慎重で足跡を消すのが上手い人間だとしても、至難の業だ。シンジケートが絡んでいるのか…いや、違う。シンジケートは真っ先に虱潰しに調べて、関与は認められなかった。それとも、俺が見逃している組織があるのか。



「ファウストなんて、ふざけた名前しやがって…」



本名でないことぐらいすぐに分かる。
悪魔の契約者か伝説の主人公にでもなったつもりかと、ゲーテの戯曲を思い起こした。そうしている間に俺は、ふとある事に気付いて。



「ゲーテの戯曲…曲…、たしか、オペラもあったな…。音楽記号にオペラ、音楽に縁のある奴か…?」



心に引っかかったのは、ファウストという名とフォルティッシモという合言葉に、共通するものがあるということだった。とは言え、無理矢理結びつければの話だが。
それぞれの意味などないのかもしれないし、偶然の一致だろうと言われればそれまでだ。
俺が連想したのはたまたま音楽だっただけで、実際それに関係あるかは限りなくゼロに近いだろう。これだけ尻尾を見せない連中が、そんな安直な名前やコードをつけるとも思えない。
だが、今は藁にも縋りたい状態だ。
麻薬がボンゴレの島にも流れてきてるってのに、出所も、ルートも分からねえ。八方塞がりじゃねえか、と毎日苛立ちばかりが募っている。



「…だめでもともと、やらねえよりマシか」



俺はとりあえず思いついたことに手をつけてみることに決めた。これで何らかの手がかりが得られれば儲けもん程度の気持ちで。
スペランツァやフェデリコが無事だったならば、などとどうにもならないことを考えたって仕方がない。一刻も早く、奴らの情報を集めなければ。
それにしても、今度は失踪事件なんて、いつものパターンと違う。もっとも、生きているとはかぎらないが。
そう言えば、笹川が、鎮圧したファミリー内に、抗争中から行方の分からない奴がいて今も捜索中だと言っていた。



「まさか、……いや、まさかな」



一瞬、そいつらも俺が追っている麻薬の常習者かと思ってしまった。
思考がff一色だから、何でもかんでもそれと繋げたがるんだ。少し、頭を休める必要がありそうだと、俺は脳の働きを中断させるように目を閉じた。



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